2015年10月


闘いから離れた庭の奥、
金糸銀糸の衣装を身にまとい、 賊が目当てにする 綺羅君。
動く度に光が踊る。

「やあ、 たんと現れたな」
のんきにキラキラ光っていた。

後発の面々は、 陽映たちを無視して綺羅君を目指し、 踊りかかった迪士尼美語 世界
「ぐえっ」
「ぐわあー」
たどり着けずに、 先頭が倒れた。

綺羅君を背中に守るように、 十人ほどの黒装束が囲っている。
形成は逆転した。

頭目は 打つ手を求めて辺りを探った寰宇家庭
黒装束の守りは堅く、
肝心の綺羅君に近づくことはおろか、 確実に仲間が倒されていく。
腹を空かせているはずの三人も 衰えを見せない。
部屋の中には、 赤黒い横顔を見せて 座っている女がいる。
白い塊は うずくまった猫だろうか、 役に立ちそうも無い。

そして、 柱の陰から 恐る恐る覗き見をしている娘がいる。
見つけた!

牛車を襲った時に、 まくれ上がった簾から垣間見えた 鳥座領主に間違いない。
使える。
人質に取って脅せば、 都の流人などより主を選ぶはずだ迪士尼美語 有沒有效

頭目は 黒装束の者たちを、 鳥座家配下の忍と判断していた。
残念ながら不正解。

九十谷から 修験者の姿でやって来た御所忍とは 知る由も無かった。
綺羅君に頼まれ、 紫苑が門柱に記した『目』は、 彼らへの合図。
しかし 思い込んでしまったものは 仕方が無い。
近くにいた一人に目配せを送り、 乱闘をぬって部屋に近寄った。



鹿の子は 押さえきれない興味に引かれて、 少しだけのつもりで覗きに出たのだが、
あまりのすごさに うっかり動けなくなっていた。
騒ぎに動じることなく座っている白菊も、 とんでもないと思った。
どっちが勝っているのか負けているのかも よく分からない。
やっぱり隠れよう と決心して、 後ずさり始めた時、
明らかに鹿の子をめがけて来る賊と 目が合ってしまった。
ものすごく ヤバイ。
どんどん近づいてくる。

賊は 縁側に足を掛けざまに飛び掛ってきた。
つかまれた袿(うちぎ)を置き去りに、 中身だけ逃げたが、
そんなことで諦めるはずも無く、
袿を放り捨てて 腕を伸ばしてくる。

と、 賊は もんどりうって吹っ飛んだ。

突然投げ飛ばされて地面に転がった頭目は、 あやうく体勢を立て直す。
目にしたのは、 忽然と現れた 美しい若武者だった。

人間(ひと)とも思えぬほどに 妖しく美しい。
頭目は、 綺羅君が流される前の 鳥座のことは知らない。
無論、 少年にも見えるたおやかな若武者が
『鳥座の小天狗』と呼ばれた剛勇、 紅王丸とは 思いもよらぬことだった。

紅王丸は、 切れ長の双眸に光を宿し、
真一文字に すらりと太刀を抜き放った。

頭目も 剣を構える。
紅王丸は 賊をめがけて、 月を背に 高々と飛び上がった。


カムライが 花嫁を迎えるために、 春の離宮に入った。
マホロバからの一行は避孕 藥
、 さる 高位の貴族の屋敷に迎え入れられ、
その屋敷を コクウの護衛兵が 守った。
マホロバから 数はさほどでもないが 精鋭がついてきている。
特に 屈強な者七人が 姫の間近に控え、 警護を固めていた。

ホジロも おまけのように 一緒に くっついてきたが、
馴染みになっていた 調査団の使った宿に 泊まろうとしていた。
婚礼を翌日に控えて、 コクウ国内は 祝賀のお祭り騒ぎに沸きかえっていた。
まるで、 マホロバに ユキアが生まれた時 を再現するかのような騒ぎだった。

近隣の民も、 あるいは 遠方からでも 、一目 皇太子妃を見ようと 城下町に押し寄せていた。
祝賀の催しも 盛りだくさんに 予定されていて、
三国同盟結成一周年の 祝賀記念式典をはるかに凌ぐ 賑わいを見せていた。

だから、 宿は 満杯で 部屋が取れない。
ホジロは 焦った。
「相部屋でも何でもいいですから、 一人くらい 何とかなりませんか」
粘りに粘った。

「ほかならぬホジロ様ですから 何とかしてさし……あっ、
男の方ばかり 四人様の部屋が、 あと一人なら 何とかなりそうです。
相部屋をお願いしてみましょう」

根負けした番頭の後ろについて、
気のよさそうな 若い男ばかりの一行だ。
ホジロも 出来る限り 愛想よく 一緒に頼んでみたが、 あっさりと断られてしまった。
「すいませんね。 一人 神経質な奴がいて、 他人様と一緒だと 眠れないもので」

がっかりしたホジロは、 その場で さらに 番頭に泣きついた。
「布団部屋でも何でも かまいません。
そうだ、 忙しいでしょうから、 お手伝いをします門禁
ゴミ集めくらいなら 出来ます」

言いながら 部屋のゴミ入れをつかんで、 番頭に 訴えかけとうとしたが、
ゴミ入れは 無情にも転がり、 中の物をぶちまける結果になった。
あわてて拾い集めるホジロを 健気に思ったのか、 番頭は 見捨てなかった。

「いえ、 手伝いはけっこうです。 本当に 布団部屋しか空いていませんよ。 それでもよければ」
ホジロの手つきを見て、 かえって 使えない と判断したようだったBotox 瘦面
「ありがとう、 助かります」

部屋を出ようとして、 番頭が 四人に振り返って 聞いた。
「春の離宮の場所は、 お分かりになりましたでしょうか」
「はい、 おかげさまで。 遠くから チラッと見ただけですが、 見物できました」

いかにも おのぼりさんらしい のんきな会話が 終わるのを待って、
やっとのことで、 薄暗い布団部屋に 案内された。
ほっとすると、 手に ボロ布の切れ端をつかんでいるのに 気がつく。
さっきの部屋の ゴミ入れに入っていたのを 持ってきてしまったらしい。
自分でうんざりして、 捨てようと 端を摘んで 目の前にぶら下げる。

 時々、テレビ番組で『昔のCM特集』が組まれることがある。 かつてのCM 映像が流れると、つい懐かしく思ったり、ふと、CM ソングを一緒になって 口ずさんでいる自分に気づいたりする。 思い出されてくる古いコマーシャルソングは、「レナウン娘が~?」「ミツワ石鹸?「どこま~でも行こう?「クルマはガソリンで走るんです」 など、どういう訳か小林亜星の作曲した曲が多い気がする。 CM が放映されていた時代の思い出が蘇って来たり、その頃の匂いを感じたりする。 そんな時代を知らない世代にとっても、 モノクロの映像が流れたりするだけで、カルチャーショックのようなものを味わったり、 味わってもいないものに郷愁めいたものを共有する感覚になるようだ。 だけども、このテレビCM も大きく変わろうとしている。 アメリカでの調査によると、ディスプレー広告費の50%以上が、テレビではなく、 "SNS" すなわち、ソーシャルメディアに費やされているという。 今やフェイスブックやグーグルが双璧となり、さらに、その率が増加傾向にある。

SNS と言えば、 YouTubeやニコニコ動画をみる前などに流れる「5秒広告」というものがある。 目的の画像検索をして、そのディスプレーを見ると、 「5秒後からスキップできます」という表示とともに、いきなり動画広告が始まる。 タダで動画を見るためには、それぐらいの代償は払わニャなるまいとして、 少なくとも、5秒は見ることになる。 惰性が働いたり、その5秒の間の動画に興味が湧くと、 そのまま1分間ほどの動画を見ることになる。 広告の形態も大きく変化したものだと思う。 これらの広告は、これから何十年か経って見たとしても、 かつてのテレビCM を見るような熱狂を孕んだ懐かしさはこみ上げて来ないだろう。 一昨年に亡くなった「広告批評」の天野祐吉の言葉に 「広告の本質は、生きづらさをコントロールする癒しの一形式である」 というのがあった。 すなわち「広告は癒し」ということらしい。 一世を風靡したテレビCMには、そんな「癒し」の世界が広がっていたように思える。 画面に突然現れる「スポット広告」や「5秒広告」は、 どうも、「癒し」とは、ほど遠い気がする...

「あれ、 この臭い」
注意深く、 ボロ布を 広げてみた。
ほんの小さな しみがある。
帳場に戻って、さっきの番頭に 聞いたelyze價錢
「あのう、 金魚とか メダカを 売っているところは ありませんか」
「はっ? まだこの季節ですから、 金魚は 出ていませんねえ。
メダカなら 裏の池に いると思いますが」
「一匹もらっても いいでしょうか」
「ああ、 どうぞ」
番頭は、 こいつを泊めても 良かったのだろうか と、 不安そうな顔をした。
「あのう、 まさかとは思いますが、 布団部屋で メダカを飼う気じゃ ないですよね」

マホロバ王国皇太子 ウナサカは、 ユキアを護衛する者たちを 部屋に呼んだ。
婚儀にて 何も起こらねば、 それに越したことはないが、 そうも行かない 予感がする。
これだけの騒ぎであれば、 祝いの見物に混じって 城下に潜入するのは、 容易(たやす)かろう。
陛下の命令だ。 何かが起こっても、 収めるのは この地の者に任せて 余計な手出しは するな。
わたしは 事があれば、 后と隠れることにする。
我が身と后の身は 自分で守るが、 ユキアまでは 正直に言って手が回らぬ。
タカ、 ハヤブサ、 ツグミ、 カケス、 ツバメ、 モズ、 ミミズク、
その方らで 必ず 守って欲しい、 頼む」

言われた七人は 叩頭(こうとう)した。
代表して、 七人を束ねるタカが 答える。
「はっ、 必ずや 無事に お守りいたします。 殿下、 ご心痛めさるな。
我が娘メドリによれば、 姫様は 娘よりもお強いとか、 滅多な事には なりますまい」
ウナサカと后のテフリは、 驚いて 目を見合わせた。
ユキアが強いって、 一体 どういうことだ」

「わっ! 殿下にも 内緒でござったか。 しまった。
しょうがない、 ユキア姫様は 武術に興味をお持ちになられて、
剣術、 体術、 槍術、 馬術、 近頃は 弓もお引きになる との事、
なまじな武人よりも お強くなられたとか。 ご心配には 及びません」
「んー、 それって、 安心していいこと なのだろうか。
かえって 嫁に行かせるのが 心配になってきた」
「カムライ殿下は コクウの英雄、 もっとお強いはずです、
たぶん。 大丈夫でしょう」
皇太子夫妻の 尽きない不安をよそに、 コクウ城下の町では、 にぎやかな夜が更けていった鑽石能量水 消委會


 異世界ものというラノベがある。
 異世界に転移したり転生したりした主人公が、
 神様から特別な能力をもらって無双するというのがだいたいのセオリーだ。
 現代の科学的な知識を利用したり、
 漫画や小説で鍛えたイメージ力で、異世界には無い魔法を使ったり
 と やりたい放題に活躍する。

 そこには、たくさんの神様が登場する。
 白髪で長いひげを持ち、杖をついた定番ぽいおじいちゃんの神様や、
 美しい女神様はもちろんだが、
 酒ばかり飲んでいる暴れん坊のおっちゃんや、
 ジーンズにTシャツでロンゲの若い男神、
 眼鏡をかけたインテリ風、
 ゴズロリ風あるいはひらひらファッションの幼女神、
 と実にバラエティにとんだ神々が登場する。
 地球の神様と異世界の神様は、たいてい違う神様だ。
 まごうこと無く、多神教の世界である。
 一神教では出てこない発想だ。

 一神教は、世界にあるものを分類する。
 分類して整理整頓する。

 多神教は、分類も整理整頓もあんまりしない。

 そんな気がする。

 だから、近代文明は、一神教の世界から急速に発展してきた
 多神教では、こうはいかない。
 一気に物事を増やすと、ゴミ屋敷になる。

 「天地創造」という映画がある。
 ピーター・オトゥールが ちらりと出てくる。
 観た時は神様かと思ったが、天使だったらしい。
 でも、神様みたいに登場する。
 天使には性別は無いことになっているが、
 ピーター・オトゥールはどう見ても糖尿上眼男だ。
 一神教の神様が人間の姿をとったら、たぶん男なんだろう。

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