時々、テレビ番組で『昔のCM特集』が組まれることがある。 かつてのCM 映像が流れると、つい懐かしく思ったり、ふと、CM ソングを一緒になって 口ずさんでいる自分に気づいたりする。 思い出されてくる古いコマーシャルソングは、「レナウン娘が~?」「ミツワ石鹸?「どこま~でも行こう?「クルマはガソリンで走るんです」 など、どういう訳か小林亜星の作曲した曲が多い気がする。 CM が放映されていた時代の思い出が蘇って来たり、その頃の匂いを感じたりする。 そんな時代を知らない世代にとっても、 モノクロの映像が流れたりするだけで、カルチャーショックのようなものを味わったり、 味わってもいないものに郷愁めいたものを共有する感覚になるようだ。 だけども、このテレビCM も大きく変わろうとしている。 アメリカでの調査によると、ディスプレー広告費の50%以上が、テレビではなく、 "SNS" すなわち、ソーシャルメディアに費やされているという。 今やフェイスブックやグーグルが双璧となり、さらに、その率が増加傾向にある。

SNS と言えば、 YouTubeやニコニコ動画をみる前などに流れる「5秒広告」というものがある。 目的の画像検索をして、そのディスプレーを見ると、 「5秒後からスキップできます」という表示とともに、いきなり動画広告が始まる。 タダで動画を見るためには、それぐらいの代償は払わニャなるまいとして、 少なくとも、5秒は見ることになる。 惰性が働いたり、その5秒の間の動画に興味が湧くと、 そのまま1分間ほどの動画を見ることになる。 広告の形態も大きく変化したものだと思う。 これらの広告は、これから何十年か経って見たとしても、 かつてのテレビCM を見るような熱狂を孕んだ懐かしさはこみ上げて来ないだろう。 一昨年に亡くなった「広告批評」の天野祐吉の言葉に 「広告の本質は、生きづらさをコントロールする癒しの一形式である」 というのがあった。 すなわち「広告は癒し」ということらしい。 一世を風靡したテレビCMには、そんな「癒し」の世界が広がっていたように思える。 画面に突然現れる「スポット広告」や「5秒広告」は、 どうも、「癒し」とは、ほど遠い気がする...

「あれ、 この臭い」
注意深く、 ボロ布を 広げてみた。
ほんの小さな しみがある。
帳場に戻って、さっきの番頭に 聞いたelyze價錢
「あのう、 金魚とか メダカを 売っているところは ありませんか」
「はっ? まだこの季節ですから、 金魚は 出ていませんねえ。
メダカなら 裏の池に いると思いますが」
「一匹もらっても いいでしょうか」
「ああ、 どうぞ」
番頭は、 こいつを泊めても 良かったのだろうか と、 不安そうな顔をした。
「あのう、 まさかとは思いますが、 布団部屋で メダカを飼う気じゃ ないですよね」

マホロバ王国皇太子 ウナサカは、 ユキアを護衛する者たちを 部屋に呼んだ。
婚儀にて 何も起こらねば、 それに越したことはないが、 そうも行かない 予感がする。
これだけの騒ぎであれば、 祝いの見物に混じって 城下に潜入するのは、 容易(たやす)かろう。
陛下の命令だ。 何かが起こっても、 収めるのは この地の者に任せて 余計な手出しは するな。
わたしは 事があれば、 后と隠れることにする。
我が身と后の身は 自分で守るが、 ユキアまでは 正直に言って手が回らぬ。
タカ、 ハヤブサ、 ツグミ、 カケス、 ツバメ、 モズ、 ミミズク、
その方らで 必ず 守って欲しい、 頼む」

言われた七人は 叩頭(こうとう)した。
代表して、 七人を束ねるタカが 答える。
「はっ、 必ずや 無事に お守りいたします。 殿下、 ご心痛めさるな。
我が娘メドリによれば、 姫様は 娘よりもお強いとか、 滅多な事には なりますまい」
ウナサカと后のテフリは、 驚いて 目を見合わせた。
ユキアが強いって、 一体 どういうことだ」

「わっ! 殿下にも 内緒でござったか。 しまった。
しょうがない、 ユキア姫様は 武術に興味をお持ちになられて、
剣術、 体術、 槍術、 馬術、 近頃は 弓もお引きになる との事、
なまじな武人よりも お強くなられたとか。 ご心配には 及びません」
「んー、 それって、 安心していいこと なのだろうか。
かえって 嫁に行かせるのが 心配になってきた」
「カムライ殿下は コクウの英雄、 もっとお強いはずです、
たぶん。 大丈夫でしょう」
皇太子夫妻の 尽きない不安をよそに、 コクウ城下の町では、 にぎやかな夜が更けていった鑽石能量水 消委會